グローヴァー・ワシントン・ジュニア(Grover Washington, Jr. 1943年12月12日 – 1999年12月17日)はジャズ・フュージョン界を代表するサックス奏者で、スムーズ・ジャズの父としても知られている。ニューヨーク州バッファロー出身。
フュージョン界の中でクワイエット・ストームを推進させ、スムーズ・ジャズの礎を作った人物として知られる。
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Grover Washington, Jr. : グローヴァー・ワシントン・Jr.の生い立ちと活躍
音楽一家の元に育ち、10歳でサックスを始める。ワーリッツァー音楽学校に進学・卒業、兵役後、フィラデルフィアに移り、ドン・ガーナー&ツノトーンやジョニー・ハモンドのグループに参加した。名プロデューサーでありCTIレコードのクリード・テイラーに見出され1971年にデビューアルバムInner City Bluesを発表。(現在、CTI期の版権はモータウン・レコード(Mo Jazz)が持っている。)
1979年にアトランティック・シティ・ジャズ・フィスティバルに出演し、同じく出演していた当時無名のフュージョングループ、ピーセス・オブ・ア・ドリームを見出し、1981年にデビューする。このグループに数度ゲスト出演している。
同年、ワーナー・ミュージック系列のエレクトラ・レコードに移籍(但し、一作毎にモータウン・レコードとエレクトラ・レコードの交互で制作するという契約)、1982年エレクトラ・レコードからWinelightを発表、収録曲、”Just the Two of Us”(邦題:クリスタルの恋人たち)が大ヒットし、グラミー賞ベストR&Bソング賞を受賞する。尚この曲のヴォーカルはビル・ウィザース。
1987年にソニー系列のコロムビア・レコードに移籍。
1995年にはキーボーディストのラムゼイ・ルイスを中心にしたグループ、アーバン・ナイツの立ち上げに参加する。
1999年12月17日、心臓発作のため逝去。56歳没。